心にのこる人々 C由之助じいさま
蒲 幾美
ばばさまの名はいと、じいさまは由之助、嶋助の分家として新世帯をもった。
勝気で、何にでも好奇心をもち積極的に行動する性格のばばさまと対照的にじいさまは至って無口で初孫の私は特に可愛がられた。
私は私の両親の記憶よりばばさまとじいさまの思いが多く、そして深くこころに残っている。
田舎町の町はずれに、祖母と母はささやかな商人宿をやっていた。子供のころの記憶にあるのは、富山から毎年やってくる“ごんたんや”(富山の反魂丹売り。転じて薬の行商)で、薬の入った行李を重ね、お得意先の子供らのみやげに、四角や丸い美しい風船をもらうのが嬉しかった。
高山から来る“かつを節売りの早川”という客がいた。
「あれまあ、おつかれでござんした」と言って、しも盥に夏は冷たい水を、冬は湯を入れて露地に置き「まあまあ、おすすぎを」とすすめる。上りかまちに腰をおろした客は足の疲れがとれるなあと喜んでいた。
じいさまは秋のとり入れがすむと、裏の田んぼにキャンプのテントを張ったように、たて木(丸太)と藁でひとりの藁仕事部屋を作る。私と妹は、じいさまの別荘と呼んでいた。囲炉裏にほだ火が燃えほっかりと暖かく煙は天窓の明りとりのすきまから外に抜ける。囲炉裏の上のあまには、うぐいや小魚のくんせいが乗っている。
のべ餅の端を切った細長い餅の耳を馬蹄形の鉄器にのせて焼いてくれる。ときにはメリケン粉に黒ごまを入れて麦せんべいを作ってくれる。
春になると持ち山へ春木山(木々を二尺五寸の長さに伐って棚に積み一年分の薪づくり)に行くじいさまは、あせらずゆっくりと、自分の体力に合わせて決して無理をしない。私は山菜のあづきなを摘みながらじいさまの姿が見えなくなると「じいさま」と呼ぶ。「オーイ」と返事があると安心して腰につけた玉あじかに山菜を摘んで入れる。
「きみ子、さあ、めしにするか」
山清水が出る樹影の山あいがじいさまの休み場だった。まっくろなヤカンに水を入れ、木の股を利用したかぎづるにヤカンを掛ける。平たい石の上で枯枝を組んで火を焚き、石が熱くなると灰を掃きとって、清水で洗ったあづきなに持参のみそをのせると、ジュッと音をたててうまい匂いのお菜が出来る。
割篭に詰めた白い飯を青朴葉にのせてたべる石やきあづきなの味はあたたかいじいさまの味だった。
(川崎市 郷土史研究家)
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