「唐草模様」  蒲 幾美  (随筆通信 月24より)
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唐草模様
蒲 幾美

 十二月の声を聞くと、年内にかたづけねばならない仕事など持たない者でも何となく気忙しい気持になる。「家族みんな元気で今年も鯛で年取りができるのが一番幸せだ」祖母は毎年同じことを言っていた。その頃は海に遠い山国飛騨では富山湾でとれる鮒が年取り魚だった。

 年の瀬になると生活苦から泥棒の噂が流れた。せめて正月の餅を子供に食べさせたい一念で泥棒を働いたという。正月のお餅の食べられない子供もいるのかと、子供心に胸が痛んだのだった。泥棒の姿を見たことはないが、頬被りに短着股引姿で、犬きな唐草模様の風呂敷に盗品を包み、背負って逃げてゆくのが、その頃の子供たちの泥棒のイメージだった。絵本か何かの印象だったのだろう。

 こんな呆けた話はいまの子供らには通じないが、昔の泥棒はその道の有名人(?)を除いた外は、殆どそれなりの身分相応の盗みだった。

 明治、大正、昭和、平成と時は流れ、古い日本人には想像もできなかった、他国人も含んだ機械化したプロの泥棒の集団が出現する怖ろしい世相になった。頬被りは目出し帽に変り、凶器を持ち、人命無視。凶暴な事件があとを絶たない。そうかといえば、自昼堂々と紳士に変装して二、三人の分業で留守を狙った犯行。またオレオレ詐欺など。これらは完全な強盗、泥棒と社会一般は認めている。

 しかし、一つ曖昧なのが、形のない文章や思考の盗み。文学に興味や縁の薄い人々は「物を盗ったのでもないのになぜそうむきになるのか」不思議がったり、逆に盗られた方を非難する者も出てくる。

 遠い日、私は盗作事件に巻き込まれたことがある。或る著名作家が、私が六年前に発表した文章に酷似の個所が何ヵ所もある文を月間雑誌に発表したのである。それを見た知人やマスコミが一斉に「盗作か?」と報じた。

 作家は町の有力者を通じ「合作にしよう」と申し込んできたが私は拒否した。そのあと作家は盗作だと非難したと私を名誉毀損で告訴した。肩書きや有名人に弱い多くの人々はそちらに流れた。文学に関係の無い人々は何と私が盗作をしたので告訴されたのだと勘違いしていた。人の一生には予期せぬ不運や出来事に会い、噂や誤解を打ち消すすべもない世界があることや、人間不信など、痛いまでに思い知らされた。

 裁判所の検事はドラマの検事のようにスマートではなく、がっちりした無愛想な人物で「何故会見を申し出たのに会わなかったか」「会う必要が無かったから」私は検事の顔を見つめて言った。「私が六年前に発表した文章です。何故後から書いた人に告訴されるのですか」「それは泥棒が逃げて行く時、大衆の面前で泥棒と叫んだら名誉を傷つけたと告訴ができる」と。何とも理不尽で理解に苦しむ検事の言葉だった。無論事件は不起訴。現在の法律はどうなっているのだろうか。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2004年12月号/通巻24号


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