「おじさんのラーメン」  杉山康成  (随筆通信 月30より)
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おじさんのラーメン
杉山康成

 まだ僕が名古屋で中学生だった頃、夜も11時を過ぎたあたりに、家の近くでチャルメラを鳴らす屋台のラーメン屋さんがあった。当時からラーメン好きだった僕は、それを聞くたびに悶々としていたが、ある日とうとう、弟と二人で寝静まった町に繰り出すと、白い湯気を立ち昇らせ、闇の中に明るいガス灯に照らされた屋台があった。

 澄んだ醤油味のスープの中に、沸騰する大鍋で茄で上げた麺をさっと滑り込ませ、半割りの卵とチャーシュー、鳴門とメンマ、そして海苔を手早くのせ、湯気越しに、「どうぞ」と木製のカウンターに差し出すおじさんの仕草は、何の気取りもなく淡々としていた。しかし、その麺を一口すすって唖然とした。それは、最近のラーメンに良くある、「しばらくするとまた食べたくなる」というような暖昧な味ではない。はっきりとした主張がしっかり詰まっていた。複雑で深く、かつ完成された味だった。いったいどうすればこんな味が出せるのか。屋台の周りに漂う、腰が抜けるような複雑で濃厚なスープの匂いに、その秘密の一端が隠されていることは間違いなかった。

 「こんな仕事してますがね、私、法政出なんですよ」無口なおじさんが、他の客相手にふと口を開いたことがある。「大学出た後、親が出してくれた元手で事業を始めたけど失敗してね。それでも、サラリーマンにはなりたくなくて、小さくても一国一城の主にこだわって屋台を始めたんですよ」おじさんを尊敬するわれわれには、おじさんのラーメンにかける自負がよく伝わってきたものだ。

 ある夜、すでに灯を消して足早に帰路に着いていたおじさんの屋台に、弟と二人で息を切らして追いつくと、スープだけ飲ませてくれと頼んだことがある。おじさんは屋台を止め、再び店を広げると、丼にスープを注ぎ、いつもよりたっぷりネギを浮かせてくれた。そして、それを一滴も残さずに飲むわれわれを静かに見守っていた。値段を尋ねると、「また今度食べてくれればいいから」と言い残し、再び闇の町に去っていった。

 それから、12〜13年ほど経ったある日、当時、すでに東京に住んでいた僕が帰省した折、かつての自宅の近くで、弟と二人でおじさんの屋台を待ち伏せたことがある。運良くその日、おじさんはかつてのように屋台を曳いて現れた。事情を告げると、「君達があのときの兄弟なのか!」と実に感慨深げに目を輝かせた。まさに夢のような再会だった。

 その後、20年余り、うまいといわれるラーメン屋があると、まめに行ってみた。しかし、かつてのあの味に比較できるラーメンに出会ったことは一度もない。おじさんはまだ健在だろうか。そしてわれわれ兄弟のこと覚えていてくれるだろうか。

(東京都 会社社長・理学博士)

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随筆通信 月 2005年 6月号/通巻30号


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