「花と歳月」  池部淳子  (随筆通信 月43より)
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いわきファイルD
花と歳月
池部淳子

 梅雨明け宣言も一週間ぐらいのうちには聞かれそうである。長い梅雨の湿った日々から早く解放されたいものだが、この梅雨の時期に生彩を放つのが紫陽花の花である。大きな毬のような花は、周囲の緑の中に隠れようもなく目立って、鮮やかな色を見せる。外出時、家々の紫陽花を次々と眺めながら歩くのは楽しい。今夏わが家のささやかな庭にも紫陽花の花毬が三つ。今は雨の重さで傾いている。

 二十七歳で、世を去った伯母は紫陽花が好きだったという。『潮音』の歌人だった伯母は薬のない終戦間際病いで亡んだ。
  ほろぶるも又うつくしや紫陽花の
          くさりはてたる緑青の玉   田部君子
紫陽花の花は写真でしか知らない薄幸な伯母を思い出させる。

 石榴の花も今からが美しい。青空をバックに朱色の目の覚めるような色で、暑さでうなだれている人間に活気を送る。

 梔子の花については最近ある出来事があった。古くからの友人が野菜不足の私のために時折段ポールにとりどり野菜を入れて送ってくれる。その荷の一番上に彼女の家の庭に咲いている梔子を折り取って載せてくれた。段ボールを開けたとたん溢れ出た香りは忘れられない。

 それともう一つ驚いたことがある。かつて車椅子の母と共に買物に行く途中、美しさに惚れ惚れしながら眺めた冬桜の樹があった。いわきに帰ってなつかしく、樹のあった家の前に行って驚いた。樹は高さの半分のところで切られていた。枝は殆どない。これでまた咲くのだろうかと、驚くと同時に残念な思いで立ち尽くした。

 冬桜を母と共にながめてから十一〜二年になる。冬桜の咲く家は広い屋敷だが庭には樹木も多い。十年余の歳月で大分大樹になったのかもしれない。時の流れを思い、いつまでも同じではない、庭も樹も変化するのだということを知らされるできごとだった。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2006年7月号/通巻43号

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