「真綿の感触」  蒲 幾美  (随筆通信 月23より)
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真綿の感触
蒲 幾美

 物を一つ買ったら一つ捨てよと言う。箪笥の底にあって三年着ない物はあと着ないとも。都会の狭いマンション暮らしなどでは捨ててゆかないと部屋は物で占められ、人間が不自由な生活をすることになる。

 苦労して永年働き、土地を買い家を建てながら、その中に古い家具や不用の衣類など持ち込むこともなかろう。私もそう思うのだが、人には潔く捨てられる人と捨てられぬ人二つの型があると思う。しかし、それらは時代の推移や戦争体験などで大きく左右される。

 戦後衣類の無かった時代いかにリホームするかが主婦の智恵と技にかかっていた。赤ん坊のケープは和服の絹物の白い下着で作ったり、古いセルの単衣やマントなどは子供服に変った。暮らしの中で散髪も自家。ただ職人用の鋏を求めたので六十余年使っていても研ぎ屋に一度も出さないのに切れ味が良い。

 戦後高度成長した日本は物資に恵まれ、加えてデフレで衣類など使い捨ての時代というが、どうしても捨てられない先祖からの物や肉親の思い出の品などがある。

 引っ越したり、家を建て替えたり、幾度もの移動の度に捨ててきたが、羽二重のような母のよそ行着の、厚手の藍紺の地色に蒲色の細い縞の単衣だけは手許に残しており、考えた末、夫の半てんに作り変えることにした。

 半てんの裏には写楽の役者絵の派手な男物の羽織裏を再利用。それに何十年持ち続けている真綿が箪笥の底にある。雪が降り出すと祖母は「風邪を引かぬから」と新しい真綿をほぐし重ねて首巻きを作ってくれた。作家の司馬遼太郎が風邪を引き易くて悩んでいたが真綿の首巻きをしてから風邪と縁が切れたという。大人になってからは紋服の寒さよけに背中に真綿の重ね着をしたのなど忘れていたが、真綿だけの軽く暖かい、そして粋で楽しい半てんにしよう。

 仕立てた半てんの綿入れは祖母や母の布団の綿人れを思い出した。片膝を立ててその上の四角い真綿を乗せ、薄くぎながら真綿の周囲を両手で持ってぴん、ぴんと張り伸ばす。繭一粒一粒を伸ばし重ねた真綿を逆に、繭一粒の量を手に取って伸ばすかそけき音。真綿は力いっぱい風船のように膨らみ碧空に浮かぶちぎれ雲のようにふわりと飛ぶ。逃がさぬように右手で取って左肩に乗せる。そうした動作を繰り返して布団地に真綿を伸ばし木綿綿(もめんわた)を置きまた真綿を重ねて布地に固定させる力はすべて繭がもつ力である。

 何十年振りで思い出した真綿の柔らかな感触と伸ばす時のシューッという(しづ)かなおと。昔の女たちの家族を思う優しいこころが伝わってくる。

 「真綿で首を締める」と言う諺がある。柔らかい真綿も紐にすると強い。真綿でじわじわ締めて(いじ)める例えらしい。要は人間を幸せに導くのは物でなく、相手を思う心であろう。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2004年11月号/通巻23号


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